生徒からきた数学、物理の質問 何処から定理や公式が導かれるか 数学編
今回は生徒から数学に関して受けた質問があったので、それについてブログに書きたいと思います。
若干内容が難しいのですが、同じようなことを考えている人は多いようなので、今回はその質問について回答したいと思います。
ちなみに質問の内容は「数学や物理の公式はゼロ定義から導かれるか?」というものです。
結論を先に答えを書いておくと、NOです。理由を述べる前にまず、数学の公式がどのように導かれるかを考えてみたいと思います。
公理と定義と原理
まず、用語の確認をします。
公理
公理とは数学体系を以外では用いられない用語です。
公理は「ある数学体系を作るための、最も基本的な前提条件」です。元々は数学者にとって「説明する必要すらない自明の真理」を公理と定めていましたが、現代の数学では必ずしも自明であるわけではありません。また、前提条件なので、証明する必要もありません。
定義
定義は数学以外の学問体系でも多く用いられる用語ですが、定義の定義を知らない人も多いと思うので説明します。
定義は「何らかの新しい概念を導入する際の宣言」です。数学を例にすると「0を除く2つの互いに素である整数a,bがあるときに、a/bと特徴づけられる数を有理数Rと定義する」みたいな感じです。aもbも既に存在していて、割り算という演算形式がある場合に、a/bと分数で書ける数のことを有理数と呼びますよと、新たに宣言するわけです。
原理
原理は物理のような自然科学ではよく用いられる用語ですが、現代の数学ではまず使わない用語です。
原理は「ある学術体系における、最も基礎的で体系構築時には疑ってはいけない仮定」です。こう見ると公理と区別がつかないかもしれませんが、公理との具体的な違いは、数学と自然科学の根本的な違いについて考える必要があるので次回にでも書きたいと思います。
数学の場合
物理も数学を使いますが、当然物理と数学は同じものではありません。その違いを考えてみましょう。
幾何学を例に取ると、ユークリッド幾何学(中高でやる一般的な幾何学)には5つの公理があります。
1:任意の一点から他の一点に対して直線を引くこと
2:有限の直線を連続的にまっすぐ延長すること
3:任意の中心と半径で円を描くこと
4:すべての直角は互いに等しいこと
5:直線が2直線と交わるとき、同じ側の内角の和が2直角より小さい場合、その2直線が限りなく延長されたとき、内角の和が2直角より小さい側で交わる。
この5つの公理を認めることによって、様々な定理(例えば三角系の内角の和は180度など)を導くことが出来るわけです。
このように、中学、高校で学ぶ数学は「明らかに成り立つ自明な前提条件」を設定し、そこから、種々の定理などを導くというプロセスを行っています。
例えば三平方の定理も教科書や問題集では証明が載っていたはずです。
公理の妥当性
ところでここで疑問に思うことはないでしょうか? 公理はあくまで証明されている事柄ではないのです。そういう意味では、仮にユークリッドの5つの公理が間違っていれば幾何学の公式や定理は全て間違いになることになります。とはいえ、昔は「これほど美しい理論の前提条件である公理が間違いのはずがない」と考えられていたので、それほど公理自体が証明可能か否かは問題視されていなかったようです。「結果は正しそうだし、公理自体が直感的に正しそうだから、まぁいいや」といった感じでしょうか。
平行線公理から発する公理の意味合いの変化
ところで、上の公理の5番目を一般に平行線公理と呼びます。この公理は「平面上に平行線(交わらない直線)が引ける」ということを表している公理なのですが、他の4つと比べると明らかに説明が長いです。これは昔の数学者もそれを不思議に思っていたようで、他の4つの公理から平行線公理を証明しようとしました。結果、平行線公理を証明することは出来なかったのですが、代わりに「平行線が交わるという公理を平行線公理の代わりに使っても、新しい幾何学の体系が生まれる」ということが示されました。ちなみにそのような幾何学のことを一般的に非ユークリッド幾何学といいます。例えば歪んだ空間(球面など)上の数学的性質を表す際には非ユークリッド幾何学が使われます。
平行線の公理と矛盾する公理を用いても、違う数学体系が生まれるという事実は、「公理」というものは、自明に成り立っていることでも何でもないということを示しています。何せ平行線公理ではない、違う公理を勝手に使っても、違う体系の数学が生まれるだけで、どちらの数学体系が正しいかなんてことを論じることが出来ないからです。その為、数学にとっては、原理的にはどういう公理(前提条件)を取るかはその数学体系を作る人が自由に設定できるものになってます。ダメな例は、数学体系を作る際に用意した公理同士が矛盾している場合などくらいでしょう。
数学体系の前提条件である公理は「現実を対象としていないもの」でも一向にかまわないわけです。
後から公理が作られる場合
上の例を見ると、数学は初めに公理を作り、その公理を使って定理や公式を導くとなってますが、歴史的には「後から公理を導入する」という例もあります。
有名な例としてペアノの公理という公理があります。
このペアノの公理は自然数を公理としてまとめたものでWikipediaによるとこの5つを満たすものを自然数として定義しています。
1:自然数 0 が存在する。
2:任意の自然数 a にはその後者 (successor)、suc(a) が存在する(suc(a) は a + 1 の “意味”)。
3:0 はいかなる自然数の後者でもない(0 より前の自然数は存在しない)。
4:異なる自然数は異なる後者を持つ:a ≠ b のとき suc(a) ≠ suc(b) となる。
5:0 がある性質を満たし、a がある性質を満たせばその後者 suc(a) もその性質を満たすとき、すべての自然数はその性質を満たす。
(Wkipediaより)詳しくは下記ページより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%81%AE%E5%85%AC%E7%90%86
後者というのは、このページを書いた訳者の表現で、日本語では後続数などと呼ぶこともあります。
この公理が作られたのは1891年で明らかに自然数という概念が生まれたよりも後です。
これは、自然数という概念は誰でも理解できるほどに簡単なものですが、「じゃあ自然数とは何かを整数という概念を使わないで説明してみてください」というのは、中々難しいために形式化が遅れたのでしょう。
公理から証明された定理や公式は不変の真理か
最後に数学から得られた結果について考えたいと思います。数学で得られた証明などが、未来で「やっぱりあの証明は間違いだった」ということはあり得るでしょうか?
答えは「そんなことはあり得ない」となります。
数学により得られた結果は永久に変わらないものです。数学的に見れば、未来で正しくないと修正を受けることはありません。
それは数学における公理の性質でもあります。公理は前提ですが、正しいか正しくないかという枠内で考えることが出来ないものです。その為、前提が否定されない数学体系で得られた結果は、永久に変わらないのです。
数学の場合について纏めると
・数学の定理や公式は公理とよばれる前提条件から導かれるために、ゼロから導かれるわけではない。
・公理は、その公理であるべき必然性も、論理的妥当性があるわけではない。新しい数学体系を作る際に、好き勝手に公理を設定しても、公理同士に矛盾が生じなければ一向に構わない。
・公理から種々の定理や公式が導かれるが、公理が最初から定まっていることもあれば、後から各種の数学体系を記述できる公理を設定することもある。
・公理は真偽判定されるものではないから、ある公理系から生まれた数学体系や、その数学体系から生まれた結果は永久に変わらない。
ということです。そういう意味では、数学者一人一人が好き勝手な公理を設定して学体系を作ることも可能なのですが、数学者も人間なので、あまり現実に即していない公理を使うことは無いようです。また、公理は後に設定されることもあります。
じゃあ物理の場合はどうなの?ということを次回に書きたいと思います。
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